友達がアメリカから帰省すると言うので、大阪まで会いに行ってきました。
楽しかったです。
いや〜、議論好きはみんな相変わらずのようで、懐かしがる暇もなく「原発をどうするか?」みたいな話に突入しました。
思いかえせば、20数年前。ロスに住んでいた頃。
「あなたは、学校に来ても無駄だから、もう日本に帰りなさい」と、異例の強制退学を大学から受けて、途方に暮れていた所、写真の真ん中のk作が「ヨシ、NYに来てみれば」との誘いで、NYに遊びに会いに行った時、出会ったのが、写真左のKzさん。
タクシーからのマンハッタンの摩天楼の圧倒的凄さに震えを感じ、またこのKzさんの言葉にショックを受けた。
「ニシオ君とやら、カミナリ爆弾でオレは世界制服するんだ。そんなどうでもええ事で悩んどったらあかんで」
遊びに明け暮れ、朝から晩まで酒浸りだったロス時代では、自然現象のカミナリを物理工学?で操作して、爆弾に替えるなんて、壮大な夢を一生懸命語る人は周りにはいなかった。
よく考えるとアメリカに来て、初めて僕に一生懸命何かを語ってくれた人だった。
「NYはおもしろい人がうじゃうじゃいる!オレもNYに行って、やり直す!」ロスで友人に熱く語ったけど、今までの僕を知っているみんなから、「余計遊びが酷くなるから、そのままロスに居ろ」と言われました。仕方ないね。
それでもあの興奮忘れられず、NYに移り住んだ。
みんな議論好きで、政治、経済、文化、映画、歴史なんでも自分の意見を言う人達に最初戸惑い、危機感を感じた。カフェで話していると、隣に座っている教授が「その件についてなんだが、私の意見は〜」なんて入ってくるような世界。
今までとは180度違う世界に戸惑いながらも、僕もみんなの話についていく為、図書館に行ったり、テレビニュースや討論番組などを観て、自分なりに理論武装していくようになっていった。毎日本屋に行って片っ端から本を読み、本を読みながらいつの間にか寝ているという生活をずっと4年間続けた。昔の自分に逆戻りするのが怖かったのもある。勉強しなきゃ強制帰国という思いが常にありました。
最初、NYに行った時は、寿司屋で働くか、映画の専門学校に入れてくれるなら、そこに行こうと思っていました。「ニシオ君、君、逃げてるんちゃうか。専門学校もええけど、大学にも一応応募しておけ」とKzさんに言われて、NY大学という、僕の成績では到底無理な大学の入学受付に一応言われるがまま、いきました。
そこで、ローラという黒人女性元大学教授のおばあちゃんに出会い、その女性が大学に推薦状を書いてくれて、無理矢理僕を大学に再入学させてくれた。ご縁というのは不思議なものです。僕は前職の健康ランドからヨガスタジオに至るまで、女性を中心とした組織作りをしてきましたが、それは決して偶然ではないんですね。ローラは僕にいつも「機会平等」の話をして聞かせてましたから。ローラにとって、ダメダメ男の僕にチャンスを与え、1人前にする事が彼女の信念である「機会平等」だったのでしょう。無学の僕にローラはいつもマーティンルサーキング牧師の事を話してくれた。今でも僕の脳みそのヒダには、その教えが染み付いている。
K作とは、同じ九州出身同士、なぜかウマがあった。僕のLA時代の友達で唯一成績優秀な男。今回の原発の件で、祖国の災難の処理のまずさに憤りを感じ、JR九州新幹線開通の3分間のYoutubeのCMを観て、涙するような男だ。「思わずCD買っちゃったよ」だって。今はNYの映画プロダクションの社長をしている。心は誰よりも日本人だが、考え方はアメリカ人だ。たまにこのブログにもコメントをくれる。K作とも話込んだが、その先を歩いている。何が大事な事か、今回話しをして、「ひょっとしてK作の考えに知らず知らず影響を受けて、僕はヨガ事業を始めたんでは?」と思った。あるだろうね。彼の若き頃の映画作品に役者として僕は何本も出演している。
Kzさんは、あらゆる原発の建設に関わっており、色々と専門家意見を今回聞く事が出来た。バハマに2人で行って、税関でアジア系テロリストに間違われて、その場が騒然となって逮捕寸前までいったのは、良き思い出です。その当時から環境テロリストみたいなKzさんだったが(今では当たり前なエコも当時からやっていた)、今や真逆な感じの全国50位内に入る土建業の社長として活躍している。その極端なバランス感覚は変っていない。僕はかなりKzさんの影響を受けていたなー。
そんなK作とKzさんに導かれるようにNYに行き、ローラや彼女から紹介を受けた素晴らしい教授陣や学友と出会う事ができた。昨晩2人と一緒に、深酒できない僕もしこたま飲んで、ホテルに帰っても興奮してしばらく眠れなかった。昔の事を思い出しちゃった。
念願の大学卒業したが諸事情で日本に帰らざるを得なくなった。最後の晩、荷造りを終え、スーツケース1つだけになった自分のアパートメントで1人泣いた時の事。「ちゃんと卒業できたじゃないか」自分が誇らしかった。そんな記憶が蘇って来た。
くじけそうになったら2人が励ましてくれたからなんだ。そんな2人が今回17年ぶりに出会った瞬間から「原発について」議論を始めたのが、なんだか懐かしくもうれしくもあり、「変ってないな〜」という思いでした。
黙ってバカ高い学費を黙って出し続けてくれた両親はもちろんの事、昨日は言えなかったけど、あの頃、僕を救ってくれたこの2人に感謝したい。大学を退学しなさいと言ってくれた人。人間はちゃんと言ってくれる人がいないと成長しないしね。もちろん他の支えてくれた人達にも。ローラ・ウィルソン刀自には感謝してもしきれない。
「今に見てろよ。40歳になった時、絶対オレがトップに立ってる。いつか見返してやる」という世間へのある種屈折した思いがずっと30代も後半になるまで続いていた。どうだろう。トップに立ったとは言えないが、何でも好きな場所で好きな事ができる場所までにはきた。
今後、僕はローラのように誰かを生き返らせる事ができるのだろうか?K作やkzさんのように誰かを励ます事ができるのだろうか?
「若き日の落第や失敗などは恐るるに足らず。最も警戒すべきはその気の弱さである」鈴木東民
NY初日にKzさんから言われた言葉。この言葉だけが唯一の頼りで、そして唯一の希望だった。毎日、シャワーを浴びる時、電車に乗っている時、いつも呪文のように自分に言い聞かせていました。
鈴木東民がどういう人かはよく知らないが、氏の言葉に刺激を受けた。今、僕は僕の言葉を磨きたい。
それを磨くには、何をしよう。帰りの新幹線でずっと考えていた。一体僕は誰を救えるんだろう。誰のお役に立てるんだろう。
練達の経営者からすれば、まだまだひよっこの部類。波に飲み込まれる事もあるだろう。でも42歳。なんでも出来る。
流れ流れた無人島から人の住む村へ帰ろう。まずはそこから。
楽しかったな、昨日。
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