先日、本を読んでいたら、面白い記事があったのでご紹介します。
いい演奏ができたのは、「あいつ」がいたからだと。目に見えない「あいつ」としか言いようのないなにかが、今しがた確かに来ていた。けれど、「あいつ」が二度三度と続けてやってくる事はまずないのです。
「あいつ」がやってくるというのはどういうことかと言うと、自分で演奏しているのではなく、自分が演奏させられているという事です。つまり、「あいつ」が来た時の演奏というのは、自分自身が自分で把握できている能力や才能の、その範囲を超えた外での事なんです。「あいつ」にたびたび来てもらうには、そのミュージシャン自身に自分の能力が十分に備わっていると同時に、そのミュージシャン自身が自分の能力と才能の限界を痛いほど知ってもいる。自分が到達すべきところに到達できていないという事を深い次元で自覚しているミュージシャンでなくてはならないと、僕は思います。
自分の上手さはその都度、その時点での上手さに過ぎないという自覚が足りないから、ではないでしょうか。そんな所にやってきてくれるほど「あいつ」は優しくない。
「あいつ」の存在が感じられるもの、それが本物です。
「あいつ」は、こんな場所に出て来る
- 危険の伴う所
- からっぽの所
- 限界ギリギリの所
- 毎日同じ時間に仕事場にいる事を自分に課す事
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「あいつ」・・・
僕も朝練がんばらなきゃという話。さて、2011年だ。
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