こんにちは。ニシオです。
今日、dvdを借りて観ました。ichi。座頭市の女性版。日本が世界で御してやっていけるアクションシーンは刀でのアクションしかないでしょう。鉄砲とかナイフとか全部洋物ですから。殺陣はある意味日本の重要文化資産です。
座頭市を観ると思い出す事がある。これは僕の配慮のなさが生んだ失敗だけど。
マッサージ業をやっていたんです。今もやっているけど。前回の日記でそれこそuspの事を書いたけど、僕の店にしかない特徴を出そうとやっきになっていた頃です。
視聴覚障害者の学校に、座頭マッサージというコンセプトでマッサージを展開したいんだけど協力してくれないか?と尋ねた事がありました。最初は就職担当の先生が好意的に話を聞いてくれていたんですが、僕のアイデアを聞くうちに、ふざけているというかバカにしていると思われたんだと思うけど、すごく不機嫌にさせてしまった事があります。
僕もkyで、このアイデアで弱者に就職の機会を与え、お店も話題性でお金が入り、お客さんも喜ぶという3方よしのすばらしいアイデアと思っていたんです。浅はかな事です。まず弱者に〜を与えたいという発想は、一見優れているように思えますが、そんなに人って弱者じゃないんですよね。勝手に自分の中で弱者にしているだけだったりします。相手の人間的尊厳というのを無視して、弱者を救ってやるんだから何をしてもいいという、そんな気持ちじゃなかったけど、結果そういう印象を相手に与えてしまって、その思い出がずっとあって、座頭市という大好きな映画を観る度に、そういう自分の恥ずかしい過去を思い出したりします。
エンターテイメントというのは、ものすごく色々な人に気を使わないと、とっても人を傷つけるものです。エンターテイメントというのはその根底に、愛情がないと難しいですね。愛情って何だという話ですが、「私、良い事してます」みたいな愛じゃなくて、それを観る目線ですかね。
それを愛と受けるか、ムチと感じるかは、受け手の受け方にもよります。
僕は、ブルーハーツというバンドがあって、その歌詞に、「本当は心の中で頑張れって言っている」というのがあるけど、トップというのはその気持ちが根底にないと難しいでしょうね。大局を観ていると、一見相手にとってひどいと思える事もやらないといけないですから。
でも、あの座頭マッサージというのは、配慮が足りなかった。
殺陣じゃなくても木刀でもいいんだな。現代で真剣を振り回したりするのは、かなり邪道らしい。試し切りというのは、あまり品のよい行為ではないそうだ。
現在、ナイフにまつわる物語を書いているのでそんな事ばかり考える。ヨガ物語はどうしたって話。心やさしいヨギーが観たら真っ青の脚本が出来上がってきてます。清濁あわせもつヨギーをお望みなら、フーンって感じ。そういう脚本にしようと思っています。
公開できる日が来るのだろうか?
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